ああ、死のうかしら。
物憂げな声で呟いたけれど顔色一つ変えないで、彼の目線は書類を彷徨っている。行っては戻り、万年筆でなぞって、時折眉を寄せたり、別の所から資料を取り出しては一人頷いている。横目で見遣った自分が莫迦らしくて虚しくて寂しかったけれど勿論言えないのでルームシューズを脱いで投げつけてみた。柔らかなファーで縁取られたピンクのそれはいかにも私らしくなく、ディーヴァが下賜したものである。なぜかディーヴァはことあるごとにドレスだの靴だのアクセサリーだの香水だのを私に笑顔で手渡すのだがそういった女性的な装飾に難色を示す私としては折角貰っても使えないままにクローゼットに仕舞ってしまうのである。彼女にとってはそれが不満らしかったが苦手なものは仕方ない―けれど、やはりやはり。珍しいくらいにしゅんと落ち込まれるのでせめて屋内だけでも使えるこれだけはと、それが役立ってしまった。甲骨の辺りで結ばれたリボンの先には、アンティークのボタンが付いている。重力に従ってゆらりと弧を描いたそれが彼に届くまであと数ミリ。よしやった、と思わず手を打ちかけた時に彼はじゃあこれで今日の仕事は終わりですねと暢気に告げて僅かに顔を逸らした。ひゅうんと響いて床に落ちるところを掌で受け止めて、ディーヴァが怒りますよとソロモン。ぷちん。わざとらしい笑顔でもって尋ねる。
「ねえねえ聞いてた?耳腐ってる?」
「いいえ、残念ながら。聞こえていましたよ」
「…死のうかしら」
「何か嫌なことでもあったんですか?」
聞くのが遅すぎる。別にいいわよふんと笑ってやるとそれはそれは可愛くないですねらしい。別に、いいわよ。軋んだ椅子のあと、掌に載ったルームシューズ。口を尖らせたまま受け取ろうとすると彼は跪いた。
「…何してんの」
「足。出してください」
は。王子と姫かっつーのと笑い飛ばして蹴り上げようかと一瞬思ったけれど見上げる瞳があまりに綺麗で虚勢を失った。顔だけ不機嫌を保って無口に爪先を突き出すと、くすりとあやすように微笑んで彼は丁重に脹ら脛を擡げた。不覚にも、少しだけ、少しだけ胸が鳴る。伏し目がちに、陰影の映える表情が物珍しいまま見ていると、踝を優しく覆われる。ハイヒールでも何でもなく、柔らかな布の靴のこと、そこは絵にならないのだけれどソロモンの所作は一つ一つ優雅で、それさえ気にならない。触覚を欠いたようにごく自然に足に収まる。
「…あり、がと」
「あなたは、そうして素直な方が良いですね」
「………誰のせいでひねくれたと思ってんの」
「誰ですか?」
「誰でしょうねえ」
履かせて貰った靴を掲げて誇り高く言うとどちらからともなく笑った。衒いなくくすくすと子供めいて笑った。細めた目の縁からぽろぽろとこぼれ落ちていく。彼は見咎めるだろうか。

あなたを。
愛して。

鮮やかな記憶。うつくしい月の夜。血なまぐさい戦いの痕跡。風にそよぐ金の髪。壁の縁に手を掛け、息を殺し目を見開いたまま。

ああ、嘘つき。

ああ、死のうかしら。








グッドバイマイスイートハート














































































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